音楽は流れる建築であり、建築は凍れる音楽である。
フリードリヒ・シュレーゲル
音楽は流れる建築であり、建築は凍れる音楽である。
「花の美しさは形にありますが、人の美しさは覚悟と心映えではないでしょうか」
けっして誤ることのないのは何事もなさない者ばかりである。生きたる真理のほうへ邁進する誤謬は、死んだ真理よりもいっそう豊饒である。
世界のデジタル化は、人の弱さを助長し、それぞれだけに都合の良い『真実』の生成を加速している。
社会に満ちる『真実』の山を見てみるがいい……。高価な兵器が人道的に人を殺し――
犯罪者の人権は被害者のプライバシーより丁重に扱われ――
希少動物保護の寄付金が集まる傍らで、貧困に苦しむ人達がいる……。
誰もがこう言われて育つわ。他人には優しくしよう。
でも競争相手は叩きのめせ!
『お前は特別だ』『信じていれば夢はかなう』
だけど成功できる人間が一部だけなのは、初めから明らかよね……。
君達が『自由』を『行使』した、これが結果だ。
争いをさけ、傷つかないようにお互いをかばいあうための詭弁――
『政治的正しさ』や『価値相対化』というキレイゴトの名の下に、それぞれの『真実』がただ蓄積されていく。衝突を怖れてそれぞれのコミュニティに引きこもり――
ぬるま湯の中で適当に甘やかしあいながら、好みの『真実』を垂れ流す。かみ合わないのにぶつからない『真実』の数々。誰も否定されないが故に誰も正しくない。
ここでは淘汰も起こらない。
世界は『真実』で飽和する。それが世界を終わらせるのだ。
緩やかに。
頗る唐突に、何の前後の関聯も無く「埋木」という小説の中の哀しい一行が、胸に浮かんだ。「恋とは」「美しき事を夢みて、穢き業をするものぞ」
法律は寡婦に一年間服喪すべき義務を負わしている。確かにそういう時期は、一切の事物の変化を含んでいて、情に篤い心にとって、大きな喪失の痛ましい印象を和らげるのに必要である。人は、花がしぼみ葉が落ちるのを見るが、実が熟し新しい芽が萌えるのも見る。人生は生きているものに属する。そして行きているものは、変化に対する覚悟を持っていなければならない。
小説の部分部分の文章は、それ自らが停止点、飽和点であるべきでなく、接続点であり、常に止揚の一過程であり、小説の最後に至るまで燃焼をつづけていなければならないと思う。
いったいどんな樹の花でも、いわゆる真っ盛りという状態に達すると、あたりの空気のなかへ一種神秘な雰囲気を撒き散らすものだ。それは、よく廻った独楽が完全な静止に澄むように、また、音楽の上手な演奏がきまってなにかの幻覚を伴うように、灼熱した生殖の幻覚させる後光のようなものだ。
自分は好きなのに、他人は嫌い、他人が誤解したことを、自分はさらに曲解するといった、それぞれの遠近法が、それぞれの思惑で交錯しているのが、世間という場所なのです。
花は根に鳥は古巣に帰るなり春の泊りを知る人ぞなき